登山を続ける理由(1)

事故のあと、それでも私が山を続けることを選択したことは、家族だけではなく、親戚、友達、誰もが賛成してくれる訳ではない事はよく分かっています。

私は今回の事故が、自然の猛威によって尊い命を失ったとは考えていません。

あくまで私の私見です。

今回の事故は、私たち人間が、雪崩の危険性の予見を行わなかったことが、原因であると考えています。

事故の後に雪崩に関する勉強会や講習会に参加し、当時の自分の知識の足らなさを痛感しました。悔しく、悲しいです。

事故前々日から当日の朝の気象の変化、事故現場の地形や植生、積雪の状況や斜面の角度、タラレバは厳禁ですが、今の知識があれば、踏みとどまったかもしれません。

私や参加者全員が、雪崩に関する知識が無知と言っても良いほど、何一つ持ち合わせていなかった。そして無知な私は、勉強を重ねていれば判断ができたであろう危険地帯に足を踏み入れたことが事故の大きな要因ではないかと思っています。

そこには、教わる側の姿勢や、教える側の考えなど、連動するその他の要因もありますが、総じて学ぶことをきちんとしてこなかった我々、人間側に問題があると私は思います。

先生だけではなく、私たち1人1人がきちんと学習していれば、事故を防げていたかもしれません。

そういった観念から、自然に命を奪われたのではなく、きちんと学ばなかった、考えなかった私に原因があると考えています。

この考えは、今現在の私の考えです。

この先、時間をかけていくことで、この考えは少しづつ変わっていくかもしれません。

それでも私は、この先8人の命を奪ったのは自然が原因と考えることはないでしょう。

自然をすべて把握し、予測できるとは思っていません。自然は壮大で威厳に満ちています。自然に畏敬の念と、節度ある付き合い方をしていくこと、そして何より自ら学んで行くことでリスクを減らしていけると思います。

その為に、なにより8名の死を無駄にしないため、私は学んでいきます。

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コメント

  1. borav64m より:

    三輪浦さん
    私は中学生の時、区立図書館にある遭難記をすべて読みました。
    どうすれば遭難するか。何をしたらいけないか。
    先人は今では常識とされるやってはいけないこと、選んではいけないルートで遭難し、その事例が事故防止策として現在の山の常識となっています。
    岩登りでも私が現役のころの常識と現在の常識は驚くほど変化しています。
    もし三輪浦さんがあの斜面の危険性を予知できる知識を持ち合わせていたとしても、1年生の三輪浦さんには止めることはできなかったと思います。
    どうか次の常識を作ってください。

  2. 北方稜線 より:

    あなたのことを、とても心配しています。学ぼうという気持ちは良いことです。でも、それが自分だけが生き残ってしまったという筆舌しがたい気持ちの裏返しとして、自分を追い込む言葉として語られているように感じます。私も少なくない知人を山で亡くしていますが、そうやって自分を責めたくなる気持ちを、一見、前向きな言葉で語ることで心を落ち着かせようという人を多々みてきました。ですから、よくわかるのです。それゆえ、とても心配しています。知識を身に着けようとすることよりも、それ以前に、もっと大事なことがあります。それが見えていないようにみえます。

    今回の事故は、雪崩の予見を行わなかったからだと書かれていますが、それは間違っています。引率の先生は「大丈夫だろうか?」と考えていらっしゃいます。あなたは、山が大好きで、30年間、山を登ってきた先生の経験を全否定するのですか? それはあまりにも傲慢ではないですか。あるいは、誰かが、引率先生の判断を全否定したのでしょうか? もし、そうなら、その人はあまりにも失礼なのではないでしょうか。

    とても心配していると同時に引率の先生を全否定しかねない書き方に憤りも感じています。

    • borav64m より:

      北方稜線様
      はじめまして
      引率の先生とは具体的に誰を指すのでしょうか。
      三輪浦様の文章からどのように解釈すれば北方稜線様のコメントが出てくるのか理解しがたいです。
      山が大好きで30年の経験があろうが、その時の判断を誤れば引率者としての責任は免れません。

  3. キリエ より:

    はじめまして。
    引率の先生、顧問の先生を恨み切れるのならばきっともう少し心が軽くなるのだろうなと感じました。
    文章からは顧問の先生に対して言葉にする事が出来ない思いがあるのだろう…きっと、先生との間には強い繋がりがあったのだろうと思いました。
    どうか、あまりご自分を責めないで過ごして下さい。