あの日を振り返って(1)

事故の前日の夜。私たちはテントに集まって、遅くまで(消灯時刻は守っています)ゲームに興じていました。誰もあの夜を最後に、仲間たちともう二度と会えなくなるとは、予想だにしていなかったと思います。

今回の講習会では大高テントは、全部で3張。3張とも小丸山園地の見晴らしのいい場所を確保できた。私たちのテントは、鏑木先輩、U先輩、奥と私の4人。もう一張には浅井先輩、O先輩、K先輩、淳生そしてハギ。もう一張は実先輩、O先輩、宏祐、そしてM。私たちの部ではテントの班分けは出発前にくじ引きで決める。今回も例に漏れずだ。

私たち1年生にとっては初めての春山安全登山講習会、普段の山行と違い、事前にしっかりとした登山計画書の配布はなかった。当時の私は何の疑問を感じなかった。内容が分かっていなかったというか、「講習会だから登山ではない。」とその時は捉えていたのかもしれない。

今、改めて考えるとおかしなことだが、当時は気にも留めなかった。恐らく誰もが。

講習会に向けての準備は、先輩たちに教わりながら準備をしていた。冬山の装備は一通り、前回の12月の日光白根の冬合宿で揃えていたので、正直3月の那須岳は事足りると考えていた。去年、同じ春山講習会に参加した先輩からは「去年は暑くて、最終日は半袖で茶臼を登頂した。」と聞いていた。念の為、予想以下の気温に対応できるであろう装備だけは整えて臨んだが、正直、雪崩など全く脳裏に無かった。

半人前と言えども、山に登る人間一人としてあらゆる可能性を考えて臨んでいなかった。これでは失格だ。

この気の緩みが、多くの尊い命を失う引き金だったのかもしれない。

初日、大田原高校を出発したバスは、先ずは座学を受講するため、黒磯駅前の小料理屋に到着した。この小料理屋は、つい先月、私の祖父の3周忌の法要を営んだ店だった。気付いたのはお店に入ってからだった。大きな玄関をくぐったとき、どこかで見た風景だったので、ふっと思い出した。でも友達との他愛もない会話の方が勝ったせいか、そんな記憶も一瞬でどこかへ行ってしまい。この先の友達との山行がどんなものになるかの期待を膨らませていた。

まとめて書くと、あまりにも長くなってしまうので、今日はここまでにさせていただきます。

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コメント

  1. ごろう より:

    高校の教育関係者で趣味の冬期クライミングをやっています。山岳部の指導などには関わっておりませんが、あの日のことはよくおぼえています。長野県北部の豪雪地帯出身なので、報道を目にした直後は、3月下旬のドカ雪・強風の直後に無木立の急斜面の下でラッセル訓練など雪崩の格好の餌食ではないか、と憤慨しました。

    しかしヤマレコなどを見るに茶臼岳の雪崩リスクは普段はそれほどのものではなく、常に雪崩の気配におびえながらの行動を強いられる北アルプスエリアとは通常の行動規範が異なるのだな、ということは了解しました。私自身、今は長野県南部の太平洋気候のエリアで登っていますので、冬でも谷を登路にとることがしばしばで、これは自分のキャリアの中では今までは決してなかったことです。引率者、企画者にバイアスがあったのは確かでしょう。誤った判断をしやすい難しい状況にあったのかもしれません。

    でも私はさらに徹底した調査と責任の追及を求めたいです。誰にでも間違いはありますが、そんなことを言っても山で逝った人は帰りません。日本全国で、経験の乏しい引率者が山岳部を引率している状況です。同じ犠牲を繰り返さないためにけじめをつけないといけません。

    そしてみわじゅんさん、山を続けてよいクライマーになってください。

  2. とも より:

    山は・・喜びもくれるけど、時としてとんでもない苦しみ、悲しみを強いてくる気がするね。・・緊張感と畏敬の念をもって付き合っていく、山を制するなんてことはおこがましくて、常に万全の準備を怠らない、少しでも不安要素があるならば決して無理・強行はしない。そんなことしかできなくて、でもやっぱり山に魅せられたら・・行くしかないよね。亡くなった友のためにも生きて、そして山に問いかけ続けて、あなたにしかなれない登山家の姿があると思う。

  3. kentarin より:

    私は事故の日の2日位前に、那須岳を登れればと思い、ダメもとで事故現場近くの大丸園地へ様子を見に行きました。案の定、天候が凄く悪く、安達太良山に行き先を変更しました。あの頃、那須辺りの天気予報と毎日にらめっこをしていたので、当日だけではなく、しばらくの間天候が悪かったと記憶しております。
    あくまでも事故の2日前の安達太良山の雪の状態ですが、昼間は結構ベチョベチョになる位暖かくなっていました。事故を知った後、ベチョベチョになった雪が冷えて固まり、その上にまた雪が積もって雪崩が起きたのかななんて考えた覚えがあります。
    (ちなみに、安達太良山でも27日辺りに雪崩に2人位巻き込まれて亡くなったと記憶があります。)
    あの時雪崩が起きなければ、また巻き込まれなければ、世間の人達が雪崩に対してこんなにも目を向ける事はなかったと思います。事故をキッカケに皆が雪崩に目を向ける事で、多くの人の命が救われる事に繋がると思います。今後も無理をせず安全に、そして楽しく登山をし、教訓や魅力を皆に伝えていって下さい。山好きの仲間たちが応援しています。